近頃、ダイエットが気になる女の子が多いのではないでしょうか?
書店にはダイエット本が並んで、ネットの広告でも目に付くのは「その体型で大丈夫!?」みたいな強迫観念を煽る見出しばかり。
かくいう筆者も、数年前まではそんな世間の空気が嫌でした。
私はどちらかというと太りやすい体質で、プラスサイズの体型を気にしてきたんです。
「太っているのは自己管理ができてないから」
「そんなに食べるとまた太るよ」
「痩せたらもっと可愛くなるのに」
相手に悪気がなくても、そうした言葉を何度も浴びせられるうちに「今の私じゃダメなのかな」とマイナス思考になって、自分を否定する日々でした。
そんな私が「ありのままの自分でいいんだ」と開き直ることができるようになったのは、これまでにダイエットで数々の失敗を繰り返してきたからです。
今回はそんな私の体験から特に印象的な【人生初のダイエットでやらかした失敗談】を暴露したいと思います。
高2で身長152cm・体重㎏のぽちゃ体型に
中学時代までの私は、身長152センチで体重48キログラム前後。それほどぽっちゃり体型というわけではありませんでした。
それが高校に進学してから、周囲の環境が変わったせいかだんだん脂肪が付き始めて高2の頃には50キログラム台半ばぐらいになっていたんです。
身長が低いので、この体重でもかなり太って見えます。年頃ということもあって周りからの視線も気になった私はダイエットすることを決めました。
ダイエットを決意して食事制限開始!
その頃の私にはダイエットの知識が今ほどありませんでした。
「とにかく食事を摂らなければ痩せる!」
本気でそう考えていました。
雑誌で聞きかじった情報から、目標としてまずは一日のカロリー摂取量を1,000キロカロリー以下に抑えることにしました。
当時の年代なら、一日に平均1,500~2,000キロカロリーは必要でしたから、私はその半分程度。今から考えたら、成長期にこれではあまりにも少なすぎます。
朝食は抜きにして、昼食は水分(お茶)だけで我慢。もちろん間食は一切しないで、口にするのは夕食のみ。それも、ごはんやおかずは控えめです。
ちなみに、私が通っていた高校には購買がありました。私はお弁当は持参せず、親には「購買でパンを買う」と嘘をついて昼食代をもらい、お金はお小遣いに回す生活を送っていました。
また、食事は糖分をあまり摂らないように気を付けていました。
今みたいに「糖質ダイエット」という言葉が知られてない時代でしたが、何となく糖分=ダイエットの敵という意識はあったのだと思います。
食事の後は下剤を飲んで「デトックス」
成果は次第に現れるようになりました。
体重がだんだん減ってきて、体重計に乗るのが毎日楽しみになってきました。
こうなってくると、食べることにますます罪悪感を覚えるようになってきます。
そのうち、私は一日一回の食事でさえ「食べ過ぎた」と思い込むようなりました。
その頃私がはまったのが、下剤を飲むことでした。
食べた後、すぐに下剤を飲んでお腹を下す。そんな毎日でした。
排泄=体に溜まった悪い毒素をデトックス――そんな考えに捉われていたのです。
突然の体力低下、そして歩行困難に……
高2の2学期からダイエットを始めて、高3の夏休み頃にはだいぶ痩せていました。
体重は10キログラム以上減って、42キログラムに。中学時代の友だちからも
「ずいぶん、痩せたねー」
「見違えちゃった」
なんて言われて、内心「やったー!」という達成感でいっぱいでした。
しかし、やはり無理があったのでしょう。そのうち、体が悲鳴をあげ始めました。
最初に異変を感じたのは、学校の階段を昇っているときでした。
それまでは楽に昇っていた階段ですが、ある日、1階から2階に昇っただけで息切れしているのに気付きました。3階まで行こうとすると、途中でいったん休まないとたどり着けません。
(体力が落ちちゃった。まるでオバサンみたいだな……)
と思ったものの、そのときはあまり気にしていませんでした。
でも、異変はそれからも続きました。というよりも悪化するばかりです。
2学期が始まると、朝夕の通学電車の中で立っているのもしんどいほどでした。その場に座り込んでしまい、周囲の乗客に心配されたことも何度かありました。
それほど、体力も筋力も極端に低下していたのです。
そして、ある日の通学途中、遂に私は歩けなくなりました。
私の自宅の近所には、ちょっとした坂道がありました。「坂」と言うほど大げさなものではなく、いつもは何とも思わないほど緩い勾配です。
そこで、一歩も動けなくなってしまいました。緩やかな坂道が急こう配のように感じられて、足を踏み出そうとしても前に進むことができません。
困り果てた私は、携帯で母親に助けを求めました。
そして、迎えに来た車でそのまま病院に直行することになったのでした。
栄養失調の診断結果を告げられる
病院では「極度の栄養失調」と診断を下されました。
栄養失調?
私は恥ずかしさのあまり、顔が真っ赤でした。
その日から即入院し、点滴治療をしばらく受けることになりました。
三日目からは病院食を摂りましたが、味気なくて胃が受け付けません。
何とか口にしても夜中に気分が悪くなって、トイレで吐いてしまう。その繰り返しでした。
それでも一週間ほど経つと体力が少し戻ってきて、退院を許可されました。
(よかったぁ…)
そう喜んだのも束の間、退院してからもダイエット地獄はまだ待ち受けていました。
恐怖のリバウンド
私を苦しめたのは、そう、「リバウンド」でした。
とにかくお腹が空いて溜まらず、あれほど敬遠していた糖質――パンやケーキ、お菓子類なども手当たり次第に食べまくりました。
それまで食欲がなかったのが、まるで嘘みたいです。満腹中枢が壊れたかと思えるほどで、フードファイター並みの食べっぷりでした。
当然、リバウンドはすぐにやってきました。
42キログラムまで落ちていた体重が、あっという間に60キログラム近くまで増えました。
それからもどんどん増え続けて、MAX63キログラムに。
10キログラムほど痩せて、20キログラム以上太った計算です。
さすがにこれはマズいと思い、今度は健康的に痩せようとジム通いを始めました。
……が、体力がまだ万全ではなく、それに加えて代謝機能も下がっていたみたいでまるで効果なし。
結局、長続きしませんでした。
そして、現在の私
その後もダイエットを何度か繰り返しましたが、(幸いなことに)現在は体重60キログラム前後をキープする状態が続いています。
どうやら私の体質的には60キログラム程度が私が肥満の臨界点だったようです。
今では私もすっかり大人になって、ナチュラルな自分を受け入れられるようになりました。
それだけ、精神的な余裕ができたということなんだと思います。
今回のまとめ
現代は外見で人を判断する「ルッキズム」は時代遅れだと言われていますよね。
ファッションショーを見ていても、プラスサイズのモデルさんが活躍していて、今やぽっちゃりも「個性の一つ」なんだなと感じます。
私個人で言えば、今のように精神的に余裕を持てたのはこのお仕事を始めたことも大きかったです。
私もお世話になってるシンデレラFCグループは、働く女性一人一人が個性を発揮できるようにさまざまなブランドを展開しています。その中には、プラスサイズな女性専門の『ぱんぶきん』というブランドもあるんですよ。
少し前までぽっちゃりはコンプレックスに思われがちでしたが、今はそれを積極的に売りにして稼げる時代です。
私の若い頃に比べたら、本当にいい時代になったものだと思います。
ぽちゃを活かしてありのままの姿で輝きたいあなた、シンデレラFCグループの『ぱんぷきん』をお店選びの選択肢として加えてみませんか?
きっと今までとは違う世界が開けますよ。
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